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勉強することを純粋に楽しむことを甥っ子から学んだ話

学ぶ楽しみ

先日、小学生の甥っ子から「俺、漢字博士になるねん。漢字検定作るから受けてな。」と言われた。

漢字博士になるのは良いとして、漢字検定って既にある検定やと思うけど、漢字検定作るってどういうことやろ^^;。

学びの楽しさ

甥っ子は今、漢字を覚えることにハマっているらしい。学校で習う漢字以外にも、本屋さんで漢字の本を買って勉強しているとのこと。

「なぁなぁ、灰に汁って書いてなんて読むか分かる?」

「じゃぁ、行に脚って書いてなんて読むと思う?」

「燻製卵ってなんて読むか分からんやんな?な?な?」

…て。灰汁に行脚に燻製卵って、問題のチョイスが特殊過ぎるんやけど^^;。どこからそんな言葉を持ってきたのかは知らないけど、漢字を覚えると同時に、そういった言葉の意味も知って、どんどん自分の中に吸収して、そうやって成長していく姿がなんだか微笑ましくもあり、羨ましくも思えた。漢字の勉強をしている甥っ子は本当に楽しそうで「あ、勉強するって、本来こういうことやんなー」と。

そういえば、自分も小学生の時、1年生か2年生の時には、6年生で習うまでの全ての漢字を覚えていたような気がする。算数とかには興味が無かったけど、なぜか漢字に興味があって、部首にどんなのがあるかとか、漢字の成り立ちを覚えたりするのが楽しくて勉強していた。少なくとも小学生の時は自分も勉強することを純粋に楽しんでいたようだ。

司法書士試験の勉強をしていた頃はどうだっただろうか。勉強を始めた頃は、今まで自分が知らなかったことを沢山知れたので、勉強は楽しかった。学んだことを仕事で活かして、誰かの役に立てるかもしれないと想像することも楽しかった。

でも勉強を続けるうちに、覚えることの膨大さに嫌気が差したこともあったし、勉強することに忙殺されて学ぶ楽しさというものを忘れてしまうこともあった。資格試験は合格することを目指して勉強するので、そのためには学ぶ楽しさとかは置いておいて、とにかく合格するために効率を考えたり、覚えることに必死になるのは悪いことではないと思う。

でもやっぱり学ぶ内容に興味が無いと勉強は続かないし、日々の勉強の中で分からなかったことが分かった時の喜びがあったから、何年もの間勉強を続けることが出来たんだと思う。

司法書士試験の勉強が終わった今はどうだろうか。業務に必要な改正法であったり周辺知識の勉強はしている。甥っ子のように純粋な知識欲からワクワクした気持ちで勉強している感じはないかもしれないけど、勉強したことで依頼者の役に立てることがあると思うと、それはそれで勉強するモチベーションになっている。

そもそも勉強できること自体が幸せなこと。勉強したくても色んな事情で出来ない人もいるだろうし、勉強できることに感謝しないとなと思う。昔は勉強って自分のためにするものだったけど、今は自分のためでもあるけど人のためにしているような気がしている。自分が学ぶことによって、依頼者に色々な角度からアドバイス出来たり、モノゴトがうまく進む最適な方法を選べる選択肢が増えたり。

今は仕事関係の勉強をすることで手一杯な感じがある。学びって机上で勉強することだけじゃないけど、余裕が出来たら仕事に関係ある事以外にも心が赴くままに純粋に学びたいと思うことを学んでいきたいな。甥っ子を見ていて、そんなことを思った。


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