合格発表は、これまでに3回経験している。択一基準点発表から合格発表までのことを振り返ってみたいと思う。
[1年目]平成27年不合格
自己採点と択一の基準点発表で、今年の合格可能性は0%と分かっていた。なので、合格発表の時は、「あ、今日は合格発表やねんな」くらいの気持ちだった。勉強せずに受けた試験なので、キタイのキの字も無い。
合格発表の得点員数表の合格点以上の点数の人を見て、「どうやったら、こんなに点数とれるんだろう」と思った。そう思うのと同時に、2年目の専業受験生生活に入っていたので、「来年は合格者の仲間入りをしよう」と誓った。
ネット受講で一人で勉強していたので、受験仲間もいなくて喜びの声を聴くこともなく、合格発表後も普段と変わらず平坦な日々だった。
[2年目]平成28年不合格
専業受験生として1年間勉強したけど、択一も記述もイマイチの手ごたえで、択一の基準点発表の時点で、「今年の合格はない」と思っていた。でも、どこかで「万が一のことがあるかも?」という気持ちで合格発表を待っていた。振り返るってみると、択一午前25問、午後25問で合格の期待をするなんて、どうかしてると思うけど。
結果は、1年目の合格発表後の誓いも空しく不合格。でも救われたのは、択一も記述も基準点を超えていたこと。2年目は択一の基準点が超えていたので、記述の採点もされた。1年間勉強だけの生活をしたのに記述の採点もされずに終わっていたら、多分心が折れていたと思う。合格点には遠く及ばなかったけど、基準点を超えたことで確実に成長はしていると思えたので、来年も頑張ろうと思えた。
2年目は予備校のライブ講義を受けていたので、受験仲間や知り合いが沢山出来た。でも、話をする人の中で合格した人は一人もいなかった。同じクラスに通っていたおじさんが受かったという話を聞いたけど、何十人もいるクラスの中で一人だけしか受からなかった事実に、この試験の難しさを改めて知った。
家族や友人に報告する時が辛かった。ふと、大学受験で併願で受けた学部の不合格通知が届いた時、「そっかぁ・・・。難しい試験やったんやね」と、なんとも言えない顔で両親が言っていたことを思い出した。そんなことを思い出しながら両親に報告した時、その時と同じ言葉をかけられた。「そっかぁ・・・。難しい試験なんやね。まぁ頑張っていたとは思うよ。」みたいな。試験は頑張っても結果が出なけりゃ意味がない。バカにするでも叱責するでもない、何気ない両親の言葉が胸にズシンと響いた。
[3年目]平成29年不合格
3年目は自己採点で午前択一の点数が良かったので、択一の基準点発表後から少し期待して合格発表を待つことになった。でも午後択一が悪すぎたし、商業登記記述の答案が崩壊していたので、今年も合格は無理かなーという気持ちも大きかった。結果は不合格。
この年は、試験後から合格発表まで、午後の試験で自分が取った行動を悔やんでいた。「なぜ不動産登記の記述に時間をかけすぎたのだろう」「なぜパニックになって択一を適当に解いてしまったのだろう」「なぜ商業登記の記述で普段は絶対しないような解答をしてしまったのだろう…」。
考えても仕方ないことが、頭をぐるぐる回った。「あの時あーしていれば、もっと取れたかもしれない。」と、今更どうにもならないことを考えてしまっていた。それはなぜかというと、試験後に改めて午後の問題を解いてみたら、全然難しいとは思わず、普通に解けたから。勿論、初見の問題ではないし、本試験の極限の緊張感もないし、時間に追われているわけでも無い中で解いたのだから、難しいと思わないのは当然なのだけど。
「普段通りに解けていたら受かっていたかもしれない」、そんな後悔が頭から離れなかった。この年に、どんなに模試で合格圏内と言われる点数を取っていても、模試と本試験は全く別物で、本試験で普段通りに解くことの難しさを改めて知ることになった。
一方で、普段通りに解けたら受からない試験ではないとも思えた。精度の高い知識、解くスピード、本試験での時間配分…この年の試験で足りなかったものを必ず克服して、来年は合格しようと思った。
[4年目]平成30年は?
ただ今、合格発表待ち。試験から発表まで約3カ月もあるなんて長いなーと思っていたけど、なんだかんだであと3週間になった。果たして結果は…(*_*)
【2019年1月追記】4年目平成30年度に合格しました。
筆記試験合格発表当日のこと↓。