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先日、友人から「俺も司法書士試験の勉強始めようと思うねん」と言われた。
「なんで?」と聞いてみたら、「司法書士って、なんかええやん。書類作るだけで、お金稼げるんやろ?」
完全になめてる。でも、世間のイメージってそんな感じなのかも。自分も司法書士試験の勉強を始めた頃は、そのように思っていた節があるw。
友人と話していると、試験勉強を始めた頃の自分を見ているようで、その時の話がちょっと面白かったので書いてみる。
司法書士を目指す理由を掘り下げてみる
先が見えていることの幸せ
「なんかさぁ、このままサラリーマンやってても先が見えへんような気がして。司法書士になったら、自分で独立開業して自由に出来るやろ?そういうのって、ええやん。」
友人は一部上場企業に努めるサラリーマン。それなりの地位もあって、収入もそこそこあると思う。安定しているが故の違うことがしたくなる青い鳥症候群。
自分も勉強を始めた頃は、この先同じ会社でずっとサラリーマンをやってても、先が見えているようで、全く違うことをしたくなり、司法書士を目指したという経緯がある。
でも、今なら思う。「先が見えている」って幸せなこと。
これからどうするべきか「先が見えない」現状にいると、本当にそう思う。先が見えていて、それが自分の思うような姿でなければ、自分が思い描く未来になるように修正ができる。それは職種を変えたり、独立開業しなくても、会社勤めをしていても出来ること。
独立開業したら自由になるという幻想
「独立開業したら自由になる」って、なんて貧困な発想なのだろう、と正直思った。サラリーマンのように決まった時間に出勤したり、誰かに管理されたりすることはなくなるだろうけど、それって表面上のことしか見えてない。
自由には責任がつきものなのは小学生でも分かること。会社に守られていない分、不自由なことが沢山ある。
そして、何故、独立開業する手段が司法書士なのだろう。独立開業したいだけなら、いくらでも他に色んな仕事があるだろうに。…と、思ったので、そのままそう言ってみた。
司法書士は書類作るだけの仕事
「司法書士って、なんかええやん。書類作るだけで、お金稼げるんやろ?」
確かに、司法書士の仕事って、形のあるモノを仕入れて売るような商売ではないので在庫を持たなくても良いし、開業資金も飲食店を開くことに比べたらグンと安く済ませられる。
でも、「書類作るだけで」っていうけど、その書類を作るためにどれだけの知識や労力が必要なのかが全然分かっていない。司法書士の仕事も依頼者からの依頼があってこそ成り立つ仕事。
依頼者の意向はもちろんのこと、銀行であったり不動産業者であったり税理士や土地家屋調査士であったり、と沢山の人が関って書類を作っていく。スムーズに案件が進むように、各ステークホルダーと調整をしながら段取りをして出来上がっていく。
そして登記の仕事は完全遂行出来て当たりまえの仕事。ミスは許されない。そこにどれだけの責任があって、どれだけ神経を使うかが全然分かっていない様子。でもこれが分からないのは仕方ない。現場を知らないから分からないのは当たり前だと思うから。
そういう訳で、
とだけ言ってみた。
「そうなんや。でも司法書士って1年くらい本気で勉強して資格取れるんやんな?試験勉強の知識がそのまま仕事に活かせるって、予備校のパンフレットに書いてたけど。」
1年本気で勉強したら合格できるという誤情報
この時点でそんな気持ちになってしまっていたけど、一応、司法書士試験勉強の相談を受けるという態で会っていたので、そのまま会話を続けることにした。
1年本気で勉強して合格できる人が、どれくらいいるのか分かっていない。確かに予備校のパンフレットには「1発合格」とかいう言葉が躍っている。正直、自分も1年本気で勉強したら合格できると思っていた。
でも司法書士試験は100人受けたら96人は落ちる試験。合格率4%、倍率25倍という数字を突破するのに、どれだけの困難が伴うのかが分かっていない。
1年勉強して1発合格する人がいるのは事実。自分がそのうちの一人になれると、試験勉強を始めた当初の自分も思っていた。でも、その他大勢の人が何年もかかって合格している事実に目を背けて、何故手放しに自分は1発合格出来ると思っていたのだろうと、今では不思議に思う。
「そやなー。でも1年やったら受かりそうな気がするねん。もし落ちても受かるまでやるわ。」
途中で勉強をやめてしまう人を何人も見てきた
誰でも初めはそう思って勉強を始める。そして勉強をしている途中で気づく。
「あ、これ1年で合格するのって、相当厳しい」と。そして「こんなに大変だと思っていなかった」と思うようになる。そして、勉強し始めの合格するまで勉強を続けるというモチベーションは徐々に薄れていき、試験勉強をやめる。
司法書士という仕事に興味を持ったなら、試験勉強を始めることは良いことだと思う。何事もやってみないと分からないから。でも、合格しなければ時間もお金も失うことになる。勉強した経験は残るけど、本気で最後までやり遂げない経験って、どれほどの価値があるのだろうとも思う。
そんなこんなで、友人と話していても、なんかフワフワしていて本気でやりたいのか良く分からなかったので、最後にこう言ってみた。
「そやなー。そしたらやってみよかな。」
・・・やるんや。
「そっか、分かった。本気でやるわ。」
・・・ほんまに本気でやるんかな。本気でやるなら応援しようとは思う。。。